文化的なかぴばらになりたい

もったりと文化的なことを書いています。

救命ボタン

 

 

 期末のレポートやらインターンシップの締め切りやらでなにかと追い詰められる時期になってきた。普段授業でがんばっていないツケがばんばん回ってくる。ひえー。

 

 ゼミに出そうと思って超短編小説を書いたのだが、文字数と期限が過ぎてしまって出せなくなったのでここに置いておく、、、読んで、、

 

 深川七郎の「極楽枕落とし図」を読んでその影響をなんとなく反映したものらしい

 

 

「救命ボタン」

 

 僕は病室でひとりテレビでニュースをみていた。聞きなれた声のアナウンサーが原稿を読み上げる。――4年前に導入された「救命ボタン」の使用者が先日1万5千人を超えました。先日都内の病院で――

 ベッド横に置かれたボタンに目をやった。プラスチックの蓋がかぶせられた安っぽいボタンだった。

 

 

いつものように看護師さんに付き添われて検診を受けに行った裕斗は長いこと帰ってこなかった。空いてしまったベッド越しに僕は窓の外を眺めていた。眺めるのも飽きたころに看護師さんがお昼ごはんを持ってきてくれた。オムライスだった。食べている間には帰ってくるだろうと思いながらぽそぽそと食べ始めた。チキンライスの中から一粒ずつグリーンピースを取り除く。さらに付け合わせのサラダのコーンもグリーンピースの上に積み重ねた。そんな、暇のかかる食事を終えたころやっと裕斗が戻ってきた。病室のすぐ外でじゃあね、またという声が聴こえるということは両親も来ているようだ。

「たっだいまー」

看護師さんの押す車いすに乗った裕斗が言う。

「お母さんとか来てたんじゃないの。部屋入ってきてかまわないのに」

「いや……ちょっと。部屋くる前に話したからいいんだ」

 なんだか釈然としない言い回しだ。でも人の家族のことに首をつっこみすぎるものでもない。そう思い、ふーんとだけ返しておいた。看護師さんが「じゃあね、裕斗くん……」と言って去っていった。なにか言いたそうだった気がした。「長かったね」裕斗の方に顔を見ながら言ったが、「まあねー」と言った彼の視線は自分の布団を見つめたままこちらを見ようとはしなかった。

 

 病室でテレビを見るにはテレビカードがいる。見舞いに来てくれるたびに母親が売店で買ってきてくれていた。けれども、母親は最近あまり顔を見せなくなった。前までは何度か来ていた弟ももう3ヶ月以上見ていない。だから何か音がほしくなっても、僕はラジオで済ませるようにしていた。今日もラジオからニュースの声を垂れ流す。

――次のニュースです。3年前より導入された「救命ボタン」による自殺者が先日1万人を超えました。3年前、厚生労働省により導入された「救命ボタン」は、医師から一定のレベル以上の病気の進行が認められた患者に渡されるもので、患者自身がそれを使用することで心臓に埋め込まれたチップが作動し患者を安楽死へと導くものです。一昨日、都内病院にて末期がん患者であった50代男性がボタンを使用したことにより、「救命ボタン」による自殺者が1万人に達しました。「救命ボタン」に反発している団体による抗議活動はこの事をうけ、ますます激しくなるとみられ――

「ぼく、そのボタンもらっちゃった」

「え、」

 あれから数時間ぶりに発せられた裕斗の言葉を僕は咄嗟に理解できなかった。

「今日昼にもらったんだ。救命ボタン。ぼくはもう、いつでも死んでいい人間になってしまったらしいよ」

 裕斗の病態は日に日に悪くなっていた。それはずっとみていればわかる。いつのまにか裕斗は自分で立ち上がれなくなっていた。ごはんが点滴に変わっていた。手術を受けることもなくなった。

「お前、それ押す気なの」

「いやあ、わかんないや。ずっと、考えてたけど、わかんない」

 

 その夜、裕斗はボタンを押した。次の日、人のざわめきで目が覚めた。何故こんなに部屋が騒がしいのかなんとなくわかってしまって、僕はなかなか目を開ける気になれなかった。