文化的なかぴばらになりたい

もったりと文化的なことを書いています。

はねろ、コイキング

 

 

こんにちはこんばんは

 

映画評を書きたいのにぜんぜんうまくいかない。

なぜ。かなしいので、雑記を書こうと思う。

 

 

「はねろ!コイキング」というアプリ知っているだろうか。

某ポケGOの人気がかなり下火になったことに焦ったポケモンの会社が最近出してきた携帯ゲームである。

 

最近少しTwitterで話題になっているようだし、どんなものか、と思い私も始めてみた

そう、軽い気持ちで始めてみたのだ。こんなにも心をえぐってくるゲームだとはつゆ知らぬまま……。

 

 

ゲームの概要としてはいたってシンプルである。

 

ぴちぴちと跳ねるだけのコイキングという鯉のポケモンを、特訓を重ねて育てていき、跳ねる高さを競うリーグ戦に出場させて優勝を目指すというものだ。

 

私もぽちぽちとコイキングを育て始めた。

こいまる、と名前をつけてたくさんエサをあげて、ちょっと過酷そうな特訓も心を鬼にして見守る。日々の悩みも忘れて、ただコイキングがぴちぴちと跳ねるのを眺める。まさに癒し、のはずであった。

 

レベルをマックスまで育て、リーグに挑み勝ち進み、もう勝てない相手に当たったときのこと。もうこれ以上育てられないけどどうするんだろ……と思ったそのとき、画面に理解しがたい一文が現れた。

 

「最後の試合おつかれさま! コイキングは引退するよ」

 

え、引退? 私があっけにとられている間に、ゲームはどんどん進んでいく。

 

気づけば私は新しいコイキングを手に入れ、ちまちまと愛情をこめて育ってきたこいまるは水槽の奥に追いやられ背景の一部となっていた。今までこいまるが元気に漂っていたはずの水槽の中央には見知らぬ、こいまる2が泳いでいるのだ。こいまる2はこいまるとほぼ変わらない見た目をしていた。けれどもこいまるより少し強く、リーグでもっと上まで勝ち進める鯉だった。

すさまじい社会の縮図を見た気がした。過酷なスケジュールの中、給料というエサで誤魔化されながら酷使され、限界を迎えると、すがすがしい掌返しで捨てられる。そして今まで自分のいた場所には自分と変わらない、むしろ少しばかり優れた人間がすっかり居座っているのだ。その状況に私たちは、水槽の背景の一部にされた鯉のように、もう何一つ口を挟むことも文句を言うことも許されない。何故なら私たちはもう過去の存在だから……。

 

 ここまで考えたところで私はそっとアプリを閉じた。涙でかすんだ視界越しに見たこいまるの淋しそうな表情が忘れられなかった。

 

 ごめん、こいまる……

 

 

 それから数日。

 

 私は今日もコイキングにエサをあげ、過酷な特訓を行わせていた。

 

「はねろ! こいまる15!!」

 

 私はこの使い捨ての冷酷な世界にすっかりと慣れきっていた。