映画 『SCOOP!』
『SCOOP!』 監督・脚本 大根仁 ★4.7
あらすじ
「新人記者野火と、カメラに生きる自由人静が週刊誌の世界を駆け抜ける」
ファッション誌の編集者を志して、出版社に入社した野火。
だが、配属されたのは芸能人の熱愛や不倫のスキャンダルを追いかけるばかりの週刊誌だった。
しかも横暴なカメラマン静とコンビを組まされることに。
この静、新人記者の野火にスクープ写真撮ってこいと言ったり、セクハラ発言を堂々と繰り返したりとやりたい放題。
けれども、そんな静の後についてスクープを追ううちに、こんな最低な仕事と言っていた野火も週刊誌の記者という仕事にはまり込んでいく。
さらに次第に野火と組む静にも変化がみられるようになってくる。
しかし、お互いが相手を気になり始め、仕事もこれから安定してうまくいきそうになってきた頃、静の親友、チャラ源から電話がかかってきた。
別れた妻とその不倫相手を拳銃で撃ち殺してしまったところだという。
慌てて駆けつける静と、しっかりとカメラを握りしめて後を追う野火。
その先には衝撃の結末が。
映画の中にいくつもの伏線が張られていて、何度も感嘆させられる。
特に、静がカメラマンになったきっかけだった、戦場カメラマンであるロバート・キャパを野火に教えたところから、ラストにかけての流れは目を見張るものがあった。
キャパの代表作『崩れ落ちる兵士』を野火に見せる静。
これはキャパが銃弾に倒れる瞬間の兵士を撮影したものである。
そしてその直後、静はチャラ源からの電話を受け、彼のもとへ駆けつける。
彼は、別れた妻とその恋人を撃ち殺したところだった。
「もっと派手なもん撃つからよ、俺のことかっこよく撮ってくれよ」
そう言って、チャラ源は町に繰り出し、静は彼をなだめながら付いてまわっていた。
少し落ち着いてきたチャラ源を静が説得しようとした。
だが、その直後、チャラ源が激昂する。
静に教えられたカメラマン精神に従い、ふたりの姿をカメラを構えて追っていた野火に、チャラ源が気づいてしまったのだ。
「俺の専属カメラマンは静ちゃんだけだ」
叫びながら、チャラ源は拳銃を振り回し、彼の発した銃弾は、野火をかばった静の頭に吸い込まれる。
崩れ落ちる静。
その瞬間をしかとカメラに収める野火。
写真に収められた静の最後の姿は、まさしくキャパの『崩れ落ちる兵士』とぴたりと重なった。
そのラスト意識して観ると、チャラ源に撃たれることになる場所までチャラ源と連れ立っていく静も、静が撃たれる瞬間までシャッターを切らずにふたりを追い続けた野火も、キャパの兵士と同じラストを知って、そこをめがけて進んでいっているように見える。
役者についてもとても素晴らしかった。
まず、静を演じる福山雅治。
もう50歳近いのに、下ネタセクハラを繰り返しても、まったく不快感を感じさせることがないのはすごい。
野火役の二階堂ふみちゃんとの情事のシーンでは、音楽だけの声のない状態の映像で申し分のない色気を出していた。
二階堂ふみも、最初のどこにでもいそうな根性のなさそうな若者の顔から、記者にのめり込み、静への好意を抱いて行く過程の表情の変化をうまく表現している。
それから、吉田羊。
それほどキャラが強いとも思わないが、どの映画でも確実な存在感を示してくる。ここでも、大人の余裕のある女性編集長という役にしっかりとはまっている。
最後に、最も印象に残ったのが、チャラ源を演じるリリーフランキー。
福山雅治とリリーフランキーの組み合わせは『そして父になる』以来だが、その作品の落ち着いた父親役とは180度違う役をこなしきっている。
演じられる役の幅広さに驚かされる。
特に、静ちゃん、静ちゃんと慕いながらへらへらしていた普段のチャラ源に、妻とその男を撃ち殺した時の狂気を交えていくラストの演技はすさまじかった。
余談だが、最後のエンディングで静と野火の関係が深まっていく様を固定カメラで撮っていて涙を誘われる。
初めは静一人で車に乗って芸能人を求め張り込んでいるシーン。続いて隣に野火が座るようになる。
下品な話を嬉々として語る静を軽蔑した横目で見る野火、寝ている野火の鼻にこよりを突っ込む静。
そしてエンディングが終わるとともに、静がスクープを見つけ、野火に「カメラ持て」と言いながら車を飛び出す。
そして、間髪開けずに野火が「持ってます!」と叫びながら車を降りていく。
もう戻らない息の合った二人の仲と、これから一人で立派にやっていく野火の未来を感じさせる演出だった。
救命ボタン
期末のレポートやらインターンシップの締め切りやらでなにかと追い詰められる時期になってきた。普段授業でがんばっていないツケがばんばん回ってくる。ひえー。
ゼミに出そうと思って超短編小説を書いたのだが、文字数と期限が過ぎてしまって出せなくなったのでここに置いておく、、、読んで、、
深川七郎の「極楽枕落とし図」を読んでその影響をなんとなく反映したものらしい
「救命ボタン」
僕は病室でひとりテレビでニュースをみていた。聞きなれた声のアナウンサーが原稿を読み上げる。――4年前に導入された「救命ボタン」の使用者が先日1万5千人を超えました。先日都内の病院で――
ベッド横に置かれたボタンに目をやった。プラスチックの蓋がかぶせられた安っぽいボタンだった。
いつものように看護師さんに付き添われて検診を受けに行った裕斗は長いこと帰ってこなかった。空いてしまったベッド越しに僕は窓の外を眺めていた。眺めるのも飽きたころに看護師さんがお昼ごはんを持ってきてくれた。オムライスだった。食べている間には帰ってくるだろうと思いながらぽそぽそと食べ始めた。チキンライスの中から一粒ずつグリーンピースを取り除く。さらに付け合わせのサラダのコーンもグリーンピースの上に積み重ねた。そんな、暇のかかる食事を終えたころやっと裕斗が戻ってきた。病室のすぐ外でじゃあね、またという声が聴こえるということは両親も来ているようだ。
「たっだいまー」
看護師さんの押す車いすに乗った裕斗が言う。
「お母さんとか来てたんじゃないの。部屋入ってきてかまわないのに」
「いや……ちょっと。部屋くる前に話したからいいんだ」
なんだか釈然としない言い回しだ。でも人の家族のことに首をつっこみすぎるものでもない。そう思い、ふーんとだけ返しておいた。看護師さんが「じゃあね、裕斗くん……」と言って去っていった。なにか言いたそうだった気がした。「長かったね」裕斗の方に顔を見ながら言ったが、「まあねー」と言った彼の視線は自分の布団を見つめたままこちらを見ようとはしなかった。
病室でテレビを見るにはテレビカードがいる。見舞いに来てくれるたびに母親が売店で買ってきてくれていた。けれども、母親は最近あまり顔を見せなくなった。前までは何度か来ていた弟ももう3ヶ月以上見ていない。だから何か音がほしくなっても、僕はラジオで済ませるようにしていた。今日もラジオからニュースの声を垂れ流す。
――次のニュースです。3年前より導入された「救命ボタン」による自殺者が先日1万人を超えました。3年前、厚生労働省により導入された「救命ボタン」は、医師から一定のレベル以上の病気の進行が認められた患者に渡されるもので、患者自身がそれを使用することで心臓に埋め込まれたチップが作動し患者を安楽死へと導くものです。一昨日、都内病院にて末期がん患者であった50代男性がボタンを使用したことにより、「救命ボタン」による自殺者が1万人に達しました。「救命ボタン」に反発している団体による抗議活動はこの事をうけ、ますます激しくなるとみられ――
「ぼく、そのボタンもらっちゃった」
「え、」
あれから数時間ぶりに発せられた裕斗の言葉を僕は咄嗟に理解できなかった。
「今日昼にもらったんだ。救命ボタン。ぼくはもう、いつでも死んでいい人間になってしまったらしいよ」
裕斗の病態は日に日に悪くなっていた。それはずっとみていればわかる。いつのまにか裕斗は自分で立ち上がれなくなっていた。ごはんが点滴に変わっていた。手術を受けることもなくなった。
「お前、それ押す気なの」
「いやあ、わかんないや。ずっと、考えてたけど、わかんない」
その夜、裕斗はボタンを押した。次の日、人のざわめきで目が覚めた。何故こんなに部屋が騒がしいのかなんとなくわかってしまって、僕はなかなか目を開ける気になれなかった。
はねろ、コイキング
こんにちはこんばんは
映画評を書きたいのにぜんぜんうまくいかない。
なぜ。かなしいので、雑記を書こうと思う。
「はねろ!コイキング」というアプリ知っているだろうか。
某ポケGOの人気がかなり下火になったことに焦ったポケモンの会社が最近出してきた携帯ゲームである。
最近少しTwitterで話題になっているようだし、どんなものか、と思い私も始めてみた
そう、軽い気持ちで始めてみたのだ。こんなにも心をえぐってくるゲームだとはつゆ知らぬまま……。
ゲームの概要としてはいたってシンプルである。
ぴちぴちと跳ねるだけのコイキングという鯉のポケモンを、特訓を重ねて育てていき、跳ねる高さを競うリーグ戦に出場させて優勝を目指すというものだ。
私もぽちぽちとコイキングを育て始めた。
こいまる、と名前をつけてたくさんエサをあげて、ちょっと過酷そうな特訓も心を鬼にして見守る。日々の悩みも忘れて、ただコイキングがぴちぴちと跳ねるのを眺める。まさに癒し、のはずであった。
レベルをマックスまで育て、リーグに挑み勝ち進み、もう勝てない相手に当たったときのこと。もうこれ以上育てられないけどどうするんだろ……と思ったそのとき、画面に理解しがたい一文が現れた。
「最後の試合おつかれさま! コイキングは引退するよ」
え、引退? 私があっけにとられている間に、ゲームはどんどん進んでいく。
気づけば私は新しいコイキングを手に入れ、ちまちまと愛情をこめて育ってきたこいまるは水槽の奥に追いやられ背景の一部となっていた。今までこいまるが元気に漂っていたはずの水槽の中央には見知らぬ、こいまる2が泳いでいるのだ。こいまる2はこいまるとほぼ変わらない見た目をしていた。けれどもこいまるより少し強く、リーグでもっと上まで勝ち進める鯉だった。
すさまじい社会の縮図を見た気がした。過酷なスケジュールの中、給料というエサで誤魔化されながら酷使され、限界を迎えると、すがすがしい掌返しで捨てられる。そして今まで自分のいた場所には自分と変わらない、むしろ少しばかり優れた人間がすっかり居座っているのだ。その状況に私たちは、水槽の背景の一部にされた鯉のように、もう何一つ口を挟むことも文句を言うことも許されない。何故なら私たちはもう過去の存在だから……。
ここまで考えたところで私はそっとアプリを閉じた。涙でかすんだ視界越しに見たこいまるの淋しそうな表情が忘れられなかった。
ごめん、こいまる……
それから数日。
私は今日もコイキングにエサをあげ、過酷な特訓を行わせていた。
「はねろ! こいまる15!!」
私はこの使い捨ての冷酷な世界にすっかりと慣れきっていた。